【報告】2014年12月(第46回)傾聴仏具配布訪問
【日時】2014年12月6日(土)
【訪問先】宮城県女川町民が暮らす応急仮設住宅、眺湾荘地区
◎午前: 針浜仮設 ◎昼食: 三秀(きぼうの鐘 仮設商店街)
◎午後: 針浜仮設、眺湾荘地区戸別訪問
◎震災物故者供養法要: 大川小学校
【参加者】平野、高橋、太田
【集合】7:30仙台駅
【解散】19:45仙台駅
★眺湾荘地区へは、今年2月の大雪直後の訪問(2/15)以来でした。
過去に何度か訪れていますが、時間の関係で全戸を回れてはいません。
今回は、過去に回っていないお宅へも伺うことができました。
2月に何気なく、道を聞いただけの方が我々を覚えていて下さって、
心が温まるとともに、少しの罪悪感を抱きました。 地盤が緩んでしまって、
家が少しずつ傾いている、ということでした。 そのお宅で、
道路側(谷側)にもっとも突き出た厠を借りると、傾斜のひどさが 実感できました。
眺湾荘では数軒を訪問し、傾聴やお茶っこしました。
眺湾荘には、「障がい者就労支援施設 きらら女川」の工場兼事務所もあります。
女川名物の「さんまパン」は、ここで作られています。 みなで訪問し、
温かいおもてなしを受けました。勤めている障害者の方も、
「たくさん、お線香を使うんですよ」とのこと。わずかですが、
お線香を 納めさせて頂きました。 (工場兼事務所では、さんまパンだけではなく、
食パンも販売しています。眺湾荘にも付近にも店はまったくないので、
高齢の住民さんが「あそこでパンが買えるので助かるわ」と述べていました) 別の、
ある住宅では、◎回忌を迎えた伴侶(突然死)についてのお話を お聴きしました。
10年以上たっても、死別の苦しみは苦しいままなのですね。 勿論、もはや四六時中、
苦しいということはないのでしょうが、 苦しみの核だけは、
いつまでも同居しているのでしょう。 地震で半壊後、
仏壇のあたりもめちゃくちゃになり、
応急処置をしたそうです。仏壇の台座部分だけが真新しいベニアでした。
追悼の読経をいたしました。
★針浜仮設では、腰の悪い高齢の方の香炉磨き(おそうじ)もしました。
同所へは、昨年11月16日以来、2回目です。 訪問先への頻度にばらつきがあります。
検証しないといけないと思いました。
「公平に回る」ということが目的ではありません。
「震災以来、初めて坊さんにお経を称えてもらった」
「菩提寺はない。 (最近亡くなった家族の)葬儀は葬儀社に
紹介してもらった石巻のお寺で、 あまり付き合いがない」という方々に出遭って、
「なぜ針浜にあまり訪問していないのか」反省しました。
勿論、少ない人数で、月一回の訪問ですから、 頻度は「たかが知れている」
わけですが、針浜に関しては、少ない。 ここは海に接していて
(そんな仮設は東北の中でもここだけでは?)、 風が吹き抜けて、
しかも南向きなのに山にさえぎられて日が届かない、 とにかくめちゃくちゃ寒くて、
外で日向ぼっこはできないし、 「住民の仲も疎遠」なんていう人もいて、
申し訳ない気がしました。 一軒、高齢者と軒先で話していて、家にあがってもいい、
ということでしたが、 家の中の若い方に、
「あがんないでください! 家の中、見られたくない!」と 拒否されました。
こういうこともあるので、ちょっと注意も必要かなと思いました。
★今回から、1箱300円程度の天然ビャクダン練りこみ線香を投入。 http://store.shopping.yahoo.co.jp/hozukien/t231417.html
これも女川の聖花園を通して購入しています。お線香を御寄贈くださる方は、
聖花園(0225-53-3281)へ「KTSKで買っている、
300円くらいのお線香」と御指定ください。 お線香、在庫がほとんどなくなりました。
(太田)
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12月6日(土)は、太田、高橋、平野3名で女川町の仮設住宅と、
眺湾荘地区を回らせていただきました。 お天気には恵まれたものの、
空気は冷たく外にいるのがとても辛くなるような一日でした。
午前は、針浜の仮設住宅にて、私は高橋さんと一緒に活動いたしました。
留守宅が多い中、「寒いから中さ入らいん。」と、
たまたま仕事が休みで寛いでいたという方の お部屋に通していただきました。
「普段はあまりしゃべらないんだけども…」とおっしゃりながら、
私たちの頷きが嬉しかったのか、 ときにははにかみながら、
ときには情けなさそうな表情で、 突然の訪問者の私たちに
震災後の遣る瀬無い気持ちを織り交ぜ、次から次へと、
あふれんばかりの思いをお話しくださいました。 昼食後は、
午前中に回りきれなかった同じ仮設住宅を訪問しました。
「たくさんの若い命が、津波によって奪われてしまった。
その中で生かされた命だから大切にしなくちゃなんないと思って、
一日、一日を一生懸命生きているの。」 「もう80だから、
身体の衰えは感じる。でも、気持ちはまだまだ若いつもり。」
「生かされたいのちだからね。」と、力強くおっしゃられたことが
印象に残りました。 そして笑顔でお話くださる言葉の向こうに、
どこかご自分に言い聞かせているような感じがして、 とても切なくなりました。
しばらくして話題が変わり、お坊さんと一緒に来ていて、
ボランティアでお経をあげさせていただいている旨をお話しすると、
足が悪くて仮設に入ってからはお寺に行ってないので、
ぜひ仏前でお経をおげてほしいと言われた。 そこへ、
ちょうどタイミング良く太田さんが来られ、二人でおじゃまさせていただき、
太田さんに読経していただきました。 仮設住宅に入られて、
初めて読経していただいたとのことで、とても喜ばれました。
読経後、その方は最近のご近所のことをお話しくださり、
仮設を離れて行かれた方や亡くなられた方がいて、
「とても寂しくなってきた」と、おっしゃっていました。
もう一軒、太田さんに読経をしていただいたお宅は、最近、ご家族を亡くされ、
今は一人暮しをされているご年配の方のお宅。読経前に、
太田さんは香炉のお掃除。 その間、私はお話をうかがっていたのですが、
「一人で寂しい。」と、 その方は何度もおっしゃいました。読経後も、
引き続きお話を聞かせていただいていましたら、
その方のことがとても心配になり、思わず手を握り締めてしまいました。
その方の手は、 とてもつめたく凍えるような手をしていました。
マッサージをしながらお話をうかがっていましたら、
突然泣きそうなお顔をされ、「(ご家族が居なくなってから)夜になると、
とっても寂しいんです。」と、 弱々しくおっしゃいました。
そのあとも「寂しい」気持ちや、「先が不安」という気持ちをお話され、
一つひとつ丁寧に聞かせいただきました。
また、眺湾荘地区には、2年前にお声がけさせていただきましたお宅に、
高橋さんと伺いました。 ご家族が心筋梗塞で倒れ、ご自分も心臓を悪くされ、
「ここ(自宅)にいるのが大変。 この先もっと悪いことが起こるのではないかと
思うと心配。これからのことを考えると不安だ」と、 おっしゃられていました。
今回「こんにちは」のあいさつをお届けいたしまして感じたことは、
継続して関わることの大切さです。 震災後3年9ヵ月が経ち、周りの状況も、
そこに住まわれていらっしゃる方々の環境も、変化している中で、
「寂しさ」や「不安」を抱える方が多くなったように感じます。
一つひとつ丁寧にお話をうかがうことで、 相手の方の表情が和らいでいくのが
感じられます。帰り際に「今度はもっと早く来て、 お茶っこ飲んでいがいん。
(行って。)」と、言ってくださりながら、笑顔で見送ってくださったりします。
出来ることは限られていますが、これからもKTSKの活動で関わらせていただこうと、
改めて思いました。 最後に、三人で活動のふりかえりをしたときに、
今回関わらせていただきました方々に、 お声がけをしていくことを共有し、
今後もKTSKの有志のみなさんとともに、
「こんにちは」のあいさつをお届けできることを願います。
事務局の太田さん、高橋さんにお伝えいたしましたので、
活動されますみなさまも機会がありましたらぜひ、
今回訪問いたしました地区の方々へのお声がけを、お願いいたします。
平野批美